2011 FUNKY IN 北海道 Part.28  初日 2日目 3日目 4日目 5日目 最終日

















競走馬の故郷を走る




 北海道2日目の朝が明け私はいつものようにpm6:00前には目を覚ます。私は夜に雨が降り出すのではないかと心配していたのだが、空は薄雲リで気温も思ったより低くはなく穏やかな朝だった。

 私は外に出てふれあい館の周りを散策して見たのだが、外の様子は10年前と変わっていないようだった。カートコースはそのままだったし、建物の外観はぺンキが塗り直されたようで綺麗になっていたが、建物自体は変わっていなかった。

 小さな事だが以前2台有った自販機が1台になっていて、私はそのコカ・コーラの自販機にコインを投入して缶コーヒーを買ったのだが、缶が普通に出てきたのを見て、何故かニコッと微笑んでしいました。

 今日は襟裳岬を周って阿寒湖近くの雌阿寒温泉まで行く予定なのだが、走行距離は400km程度と少なく、また走りを楽しむ道も多くはなそうだから、観光中心でゆっくりと走る事になりそうである。
 

ファミリーランドにはカート場が有って、私はGSX-Rで
走ってみたい衝動に駆られたが、グッと我慢しました。



 今日の朝食はコンビニで取る予定にしていて、その分時間に余裕が有って我々はゆっくりと出発の準備をする。この ふれあい館 には、昨晩我々以外に2組の宿泊客(車)が有ったのだが、皆さん出発するのが早くて7時半時点で残っていたのは、我々だけになっていた。

 我々も8時前には平取温泉を出発、平取の街手前まで戻って道道60号に左折する。小さな峠を越えてから道道351号右折し田んぼが広がる川沿いの道を少し走った後、我々は海岸線を走る国道235号と並行して内陸部を走る道道1026号に左折する。

 この道が新冠まで通じた(舗装で)のは最近(2年前?)の事で、新しく出来た区間は道幅も広く線形も穏やかで走り易かったのだが、以前から有った道は狭くて(一応二車線)路面状態も良くなく気を使う道だった。

 道道1026号は海岸線と内陸を並行して走っている為、海に流れ込む川を渡っては山を越え又川を渡って山を越えるを繰り返し走っていた。道の両側には牧場が点在しているのだが、その出入口付近には土が落ちている場合が多く、この土が厄介物で私はリヤタイヤを一回滑らせてしまった。

 それ以降、牧場が見えたら私はスピードを落とすようにしたのだが、牧場地帯を走る時は予想外の事が起きるから走行には充分な注意が必要であろう。

 我々は今回、日高から新冠、浦河へと内陸部を100km近く走った。その道の沿線には沢山の牧場が点在していたのだが、その殆どの牧場が牛ではなく馬の牧場だった事に驚いた。平取から浦河まで北海道のどこでも見られる牛の姿を見たのは一度だけで、草原で草を食んだり走り回ったりしているのはお馬さんでした。

 この地域がサラブレッドの故郷と言われる所以を納得した私だったが、これだけの牧場がサラブレッドを育てる事で経営が成り立っている?のにも驚いた。私は日本の競走馬産業がどれ程の規模なのかは知らないが、ここを走って見た限りでは私の想像を越える市場規模を持っていそうである。


静内地区で小休止。 停まると背後(西)から黒い雲が近付いてきていた。


 三石富澤地区の信号交差点の角にコンビニが在るのが見え私はそこで休憩を考えたのだが、折しも空から雨がパラパラと落ちてきていていた。ここで休憩してしまうと雨雲に追い着かれてしまいそうな感じで、私はそのまま走って浦河を目指す事にする。

 浦河を目指す我々は知らぬ間に広域農道を走っていて、道路表示を見るとこの広域農道が我々を浦河まで連れって行ってくれるようである。

 三石富澤を過ぎると、広域農道がJR日高本線と並んで走る所が有る。JR日高本線は非電化の単線で、如何にも北海道のローカル線という雰囲気を醸し出していた。昭和の時代には北海道の彼方此方で見られこの手の鉄路も最近は出会う事が少なく、私は昔走った幌加内付近の深名線(深川と名寄を結んでいた)を思い出しながら走っておりました。



雨雲との競争



立派なお寺の門の横に在る浦河のセイコマート。

  広域農道が橋を渡ってT字路信号にぶつかると、そこは浦河の街外れだった。少し前に雨が降ったのか路面は黒く光っており、日高本線の踏切を渡たるとそこは国道235号で、我々は左折して浦河の街に入って行く。

 私は浦河の駅前を久しぶりに通ったのだが、電線が地中化されて街並みが一新され昔の面影は全く無くなっておりました。

 私には浦河での思い出が有って、それは北海道 Part.2 の時だったが、襟裳岬から帰りのフェリーに間に合わせ様と先を急いでいて、浦河でガソリンとエンジンオイル(6台中5台が2サイクル車)を補給した後、フェリー乗り場の在る室蘭までの200km近い距離を3時間で走り切った事があった。

 その時ヤマハのオールーブオイルを買ったバイク屋さんが国道沿いに有った筈なのだが、街並みが変わっていて見付けられなかった。もっともそれは26年も前の事だから、そのまま残っている事の方が珍しいのかもしれないのだが、バイク屋としては同業のバイク屋さんがどうしても気になっちゃうんですよね。

 お寺の立派な門の隣にSEICOMARTを見付けた私は、朝食を兼ねて休憩する事にした。平取を出てから浦河まで1時間半弱の一気走りだったが、K9は弱音も吐かずしっかり走っていた。K9の偉いところは過酷な走りをしてもしっかり着いて来る事で、この3年間FUNKYツーリングの全てに参加してきた経験は伊達では無い。

 私がコンビニで朝食を取る時、サンドイッチおにぎりの2パターンを持っているのだが、今回はサンドイッチで朝食を取る。我々が外で朝食を食べていたら雨が落ちて来て、次第に強くなってくる。我々が止まっている間に雨雲が追い着いてしまったようで、我々は雨具を着て浦河を出発する事になってしまったのである。

 浦河の街を出た先でガソリンを給油した我々は一気に襟裳岬を目指したのだが、様似辺りまで来ると雨は上がり路面も乾いていた。浦河より南に位置する襟裳岬地域は雨雲の通り道から外れているようで、雨雲は浦河以北で東に移動している模様である。



久しぶりの襟裳岬

 私が襟裳岬を訪れるのは久しぶりで、前回訪れたのは確か20世紀だったと記憶するが、国道336号から分かれて襟裳岬向かうアプローチロードは以前と変わっておらず、周りに何も無く強風だけが吹き抜けていた草原もそのままだった。

 しかし、今日の襟裳岬は風も無く青空も見えている穏やかに天候で、何のドラマも無く我々は岬のパーキングにバイクを停める。お土産屋さんは以前と変わっていない感じだったが、岬の展望台に向かう道は綺麗に整備され、展望台も見違えるように綺麗になっていた。我々は早速灯台横の展望台で、襟裳岬をバックに記念写真を撮る。

灯台横の展望台からの写真
※下の展望台からの写真

1985年に撮った写真
下の展望台からの写真とアングルが同じ?

 撮影を終え灯台の方へ行くと、下にも展望台(撮影スポット)が有るのを発見、多くの人が記念写真を撮っている姿が見られ、我々も行ってみる事にした。

 その場所は先ほどの展望台とは岬の見え方が少し違っていて、先ほどの場所より岬を少し横から見る感じになっており、岬により近い写真が撮れる場所だった。

 帰って来てから昔の写真と見比べてみると、手摺や看板は変わっているものの、写っている岩の見え方から下の展望台が以前写真を撮った場所のようだった。

 展望台の環境が大きく変わって、私は下の展望台が以前の撮影ポイントだったのを分からなかったのだが、人間の記憶というものは結構曖昧なもののようです。



SUZUKI バンディット1250F ABS



バンディット1250F ABS と並ぶGSX−R100 K5


 駐車場に戻ると我々のバイクの隣に停まっていたバイクが入れ替わっていて、私の隣にはスズキの バンディット1250F ABS が停まっていた。最近スズキのバイクをジックリ見る機会の無かった私は、その作りを見て少なからず驚いてしまった。

 バンディットのエンジンは、ヤマハのYZF−R1の様にクランクシャフト、カウンターシャフト、ドライブシャフトの三軸が三角配置になっている新しいエンジンになっており、メーターは見慣れた私の GSX−R1000 K5 と同じタイプの物が取り付けられていた。

 バンディット1250F ABS はある意味スズキらしい作り方?のバイクだったが、スズキさんがツーリングバイクにもお金を掛け(エンジンを新設計?)て作っている事を知り、私的には驚くと共にスズキさんを見直してしまいました。

 GSX−R750の隣には、横浜ナンバーのホンダVTR250が停まっていて、ライダーは20代?の若者だった。私はこれから向かう広尾方面の天気を知りたくてどちら方面から来たのかを聞いたら、彼は帯広方面から来たのだと言う。

 私が向こうの天気を聞くと雨は降っていなかったと言うのだが、雨雲が西から東に移動中の筈だから我々が行く頃には降り出している可能性は高い? 彼は北海道に上陸してから働きながら旅をしているライダーのようで、もう2ヶ月近く北海道にいるらしいのだが、いつまで北海道にいるのかも決めていない気軽な旅のようでした。

 昔は仕事を辞め次の仕事までの間を利用して北海道を旅する若者が結構いたものだが、今は若者が仕事を探しながら北海道を旅する? そんな時代なのかも知れませんね。

 襟裳岬を出発した我々は、その昔走るのに苦労させられた黄金道路に向かう。

 

無事に戻る大切さ


 襟裳岬から海沿いの道に下ると道は百人浜を走るようになる。この百人浜は、その昔この沖合で南部藩の船が難破し多くの人々がこの浜に流れ着いたのだが、百人近い人がこの浜で亡くなった事から百人浜と名付けられたらしい。そんな悲劇の海岸線を走る我々は、緩やかなワインディングロードを快適に走って黄金道路を目指す。

 それは百人浜を抜けた集落手前に在る、左のブラインドコーナーだった。私は左車線の中央線寄りから左側のインに寄って行くラインでコーナーに入って行ったのだが、私の向かうクリッピングポイント付近にちょうど土が落ちているのが見えた。

 それはトラクターか何かが落とした土と思われるのたが、私がそのままインに寄って行けばバンクした状態で土に乗りフロントタイヤからスリップダウンする事は明がだった。私はとっさにラインの変更を試みたのだが、既にバンクした状態で簡単にラインを変える事は難しかった。

 私のコーナーリングはコーナー手前でブレーキングを終えてスピードを落とした後、バイクの向きを一気に変えてスロットルを当て加速気味にクリッピングポイントに寄って行く走りをする。

 クリッピングポントに土を発見した私は先ずはスロットルを戻してスピードを落とし、バイクが減速し方向を変え易くなったところでリヤブレーキを当ててバイクを起こし、走行ラインを外に持っていく事で土を避ける事に成功する。しかし、コーナーはまだ続いておりバイクはバンクしたままはらんでセンターラインに寄って行く・・・。

 私が対向車線に助けを求めて視線を送ると、対向車線からは大型バスが車線いっぱいを使って向かって来ていて、私には対向車線を使うオプションを使えない状況だった。しかし、フロントブレーキは勿論リヤブレーキを強く掛ける事も難しい状況で、私はリヤブレーキを引き摺ったままバイクがインに向くのをジーッと待つしか無かった。

 そしてGSX−Rはセンターラインの90cm?手前まで行って戻って来たのたが、文章に書くと結構長い出来事もそれはほんの一瞬の出来事だった。私としては特に肝を冷やす状況では無かったのだが、対向車線を走るバスの運転手さんを驚かしてしまったと思われ、深く反省した次第です。

 とにかく今回のツーリングではよく土が落ちていた。収穫の時期と重なった今回のツーリングは、我々がマイナーな道を走る事が多い事もあって、本当に土がよく落ちていた。この事件以降、私がフラインドコーナーの進入により慎重になったのは勿論だが、無事にスタート地点に戻るという意識をより強くしたのであります。



拍子抜けの黄金道路

 道道から国道336号に戻った我々は、いよいよ黄金道路に差し掛かる。私には黄金道路に多くの思い出が有って、その思い出の多くが大変だった思い出なのだが、人間にはその大変だった事をまた体験したいと思うマゾ的な部分が有って?今回私は内心それを願っていたところも有った。

 大変な思い出の主役は海から吹きつける強風なのだが、強風で海岸に打ちつけられた波が砕けて飛沫が舞い上がり、その飛沫がライダーに悪さをするのだ。海水の飛沫はシールドに付着すると潮の白い斑点となって視界を妨げる。何も知らない頃の私はそれを手で擦ってしまい、潮がシールド全体に延ばされ前が見えなくなってしまったのだ。

 最終的にはシールドを開けて走る破目になってしまったのだが、そんな苦労した思い出が有る断崖絶壁が続く黄金道路に出たと思ったら、我々はいつの間にか長い長いトンネルの中にいた。二つの短いトンネルを通過した後に入ったトンネルの長かった事・・・。トンネルの中で工事が行われていて片側交互通行になっていた事も有ったが、とにかく長い長いトンネルだった。

 黄金道路と言われる位お金を掛けて造った道を捨て、またお金を掛けてトンネルを掘るのはどういう事なんでしょう? 断崖絶壁の海岸線を通行する事は天候に左右される(特に冬期?)から、トンネルにする事で安定通行が可能となり利便性が向上する事は理解出来る。

 地元の人達はトンネルになった事を喜んでいるとは思うが、観光客?の立場で勝手な事を言わせてもらえばトンネルの黄金道路は何の感動も無く、襟裳の観光資源の一つ無くなったような気がしましたね。

 もっとも断崖絶壁の道はまた結構残っていて、その日も高い崖の上から垂らされたローブに多くの人達がぶら下がって、落石防止工事を行っていた。トンネルにすればそんな危険な工事も必要無いわけで、これからも黄金道路をバイパスするトンネルは増えていく事でしょう。

 因みに我々が通ったその日は風も無く海は穏やかで、波の飛沫を浴びる事も無くて長く記憶に残るような出来事は有りませんでした。

 黄金道路を通過して広尾まで来ると、路面が濡れていて雨がポツポツ落ちて来た。私の予想通り北の方は雨雲の通り道になっているようである。


雨雲と戯れる?

 国道336号と国道236号の供用区間が終わり、我々は帯広に向かう国道236号と別れて右折、国道336号で浦幌を目指す。雨は次第にポツポツ状態から小雨状態になり道路に設置されている電光表示板には <十勝中部に大雨注意報> の文字が表示されている。

 しかし、我々が進む前方の空には明るい所も見えていて、私はあそこまで行けば雨は上がると筈との思いで変わらない景色の中をひたすら走る。とにかく国道336号が走るこの区間は、森や草原や原野が延々と続いておりその中を黒い道が蛇がうねる様に延びているのだが、本当に走った感が無い道だった。

 空が青空で白い雲がポカポカ浮いている景色だったらまた印象も変わったのだろうが、雲が低く垂れ込め雨がシトシト降っている状態での走行は、難行苦行の何物でもなかった。そうこうしている内に雨が強くなってきて、これまで雨が上がる事を期待して雨具を着ないで走っていた私だったが、我慢し切れずにバイクを歩道に乗り上げて(歩く人がいな道でも北海道の道には歩道が有ります)雨具を着る。

 しかし、皮肉な事に雨具を着て走り始めて直ぐ、雨が小降りになって暫く走ると路面が乾いてきた。雨具を着る間に結構濡れてしまった事を考えると、そのまま走り続ければ良かったと思ってしまった私だったが、後の祭りでした。



泥パック

 我々はようやく十勝川河口近くまでやって来たのだが、堤防の近くにダンプカーの出入口が有ってそこから道路上に土が撒き散らかされていた。それだけだったら埃を少し我慢すればよかったのだが、土埃がたたないように道路上に水が撒かれていた。


泥パックされたGSX−R

 この土埃対策の散水はバイクの取っては最悪で、跳ね上げられた泥水はバイク全体を泥パックしてそのまま固まってしまうから厄介だ。雨の中の泥水は降る雨で流されバイクは常に洗浄されている状態だが、土埃対策の泥水は洗い流される事は無いから、付着したら最後バイクをパックし続けるのである。

 十勝川を渡った我々は、少し走った先の信号を左折、浦幌の国道36号に出る。帯広から来た国道36号がこの信号で直角に左折して釧路方面に向かうのだが、我々はその信号を直進して国道36号に入り浦幌の街に向かう。

 私は浦幌で昼食を考えていたのだが、国道36号から道道56号に入って浦幌の街中で食事処を探したがそれらしき場所は見付けられなかった。最近、北海道の地方の町で食事処を探すのは難しくなっていて、食事をする時は道の駅に行くのが一番確実な方法なのだが、うらほろ の道の駅はバイパスの国道36号沿いに在って、我々はその前を通る事は無かった。

 浦幌の街をキョロキョロしている間に通り過してしまった私は、結局昼食は本別まで我慢する事になったのだが、雨もすっかり上がり路面も乾いていた事から、バイクを路肩に止めて雨具を脱ぐ事にした。身軽になった我々は、これから向かう浦幌川沿いのワインディングロードを楽しみに走り出したのだが、留真温泉入口を通過して道が山の中に入って行くと雨が再び降って来た。

 こんな事なら雨具を脱がなければ良かったと後悔した私だったが、これもまた後の祭りだった。今更止まって雨具を着る気にもならず、我々は雨に打たれながら濡れた路面を慎重に走りを進める。しかし、幸いな事に雨は強くはならず本別に近付くと路面も次第に乾いてくる。

 私が浦幌から本別までの道道56号を走ったのは今回が初めてで、地図 や Google Earth を見た限りでは楽しめそうな道だと期待していたのだが、走ってみると道は狭く路面も良くなかったし、沿線には農地や人家が多くて楽しめる道では無く、今後この道を使う事は少ないかもしれません。


ランチはお肉


本別の道の駅は以前は鉄道の駅だった
場所で、一部ホーム等が残されている。

 pm1:30少し前、我々は本別の道の駅に到着する。本別の道の駅は国道から少し上の高台に在って駐車場はその下に在ったのだが、上にも駐車場が有るようだったので私は上に回ってみる事にした。しかし、上の駐車場の入口が分かりずらく少し迷ってしまいました。

 この 道の駅 ステラ★ほんべつ の場所は、2006年まで運行されていた 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 の本別駅跡地を利用したもののようで、このような高低差の有る立地になっているようである。

 我々は道の駅のレストランで遅いランチを取る事にしたのだが、ここのレストラン 秀華 は道の駅の食事処としては小じんまりとはしているが小洒落た感じの雰囲気の良いレストランだった。


道の駅とは思えない雰囲気でランチを頂きます。



牛サーロインステーキ丼 1,100円

 我々は洒落たテーブルに着いてメニューを開いたのだが、料理の価格設定は道の駅の平均レベルで特に高い物は無く、安心?する。我々は数あるメニューの中から大奮発して一番高額な 牛サーロインステーキ丼 1,100円 をオーダーする。

 暫くして 牛サーロインステーキ丼 が運ばれて来た。ご飯の上にモヤシを敷きその上に柔らかいサーロイン肉を載せたステーキ丼は、結構良い肉を使ったステーキが旨かったし、敷かれたモヤシにステーキから出た肉汁が浸み込み、シャキシャキとしてこれがまた旨かった。

 量も空腹を満たすには充分なもので、私は満足してレストランを出る。道の駅の売店に行ってみると、ソフトクリームを売っていて私は思わず小銭を探してしまった。

 この時の本別が結構暑かった事もあって、私はデザートにソフトクリームを買ってしまったのだが、コーンで250円?のソフトクリームは量が充分に有って、体を冷やすにはちょうど良い普通に美味しいソフトでした。


道の駅で売っていたソフトクリーム 250円?
暑くて直ぐに溶け始めてしまった。





 我々のこれからの予定は、今晩の宿が在る阿寒湖少し手前の雌阿寒温泉(距離は70km程)に向かうだけだが、明日の準備としてガソリンタンクを満タンにする事と今宵の飲み物を確保する必要が有り、先ずは本別の20km程北に在る足寄に向かう事にする。


最後まで雨に祟られる


足寄のセブンイレブンで買い出し。

私が本別と足寄を結ぶ国道242号を走るのは本当に久しぶりで、20年は走っていない(本別から足寄方向は初めて)と思われるが、途中に高速の出口が出来ていたりして大分様変わりしていた。

 以前は国道242号を本別方向から足寄に出ると、横に走る国道241号にぶつかる形のT字路だったのだが、今回行ってみると直進する国道242号に横から国道241号がぶつかる形のT字路になっていた。

 そのせいなのかどうかは知らないが、左側から来ている国道241号は大渋滞中で、信号を通過するのに信号待ちを何回もしている状態だった。以前は渋滞している印象は無かったから、交差点を変更したのが良かったのか疑問ですね。

 足寄の街中に在るGSで給油した後、我々は近くのセブンイレブンで今宵の飲物を買い込む。買物を終えて外に出ると、雨がまたポツポツと落ちてきてしまった。

 大した雨ではなかったのでそのまま走り出してしまったのだが、私はこれから向かう雌阿寒温泉が標高の高い所に在る事を忘れていた。以前 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 の足寄駅だった場所が 道の駅 あしょろ 銀河ホール21 になっていて建物が新しくなっていたが、今回は立ち寄らずにその前の信号を右折、国道241号で阿寒湖方面に向かう。

 今日の国道241号は車が結構走っていて、我々は車の流れに乗ってオンネトーを目指したのだが、オンネトーが近くなり標高が上がってくると雨が強くなってきてしまった。それは今日の気象状況からして当然の結果だったのだが、宿まではそんなに距離も無く今更止まって雨具を着る気にもならずそのまま走る事にする。

 それにしても今日は雨具を着たり脱いだり本当に忙しい一日だった。こんな事なら雨具を着っぱなしにしていれば悩む事も無かったのだが、雨具を着て走るとバタついたりシートのコンタクト感覚が変わる(滑る)から、どうしても脱ぎたくなってしまうのだ。

 しかし、今日ほどめまぐるしい天気変わったのは、今までの北海道ツーリングの中で今日が初めてだったかもしれない。九月の北海道の天気は寒冷前線が通過する時に雨が降るパターンが多く、半日も降れば大体雨は上がってそれ以降は晴れる事が多いのだが、今日は一日中雨が降ったり上がったりの繰り返しだった。

 今考えてみると我々が雨雲と共に西から東に走ってしまった事と、季節が夏から秋に入れ換わっる前日で有った事が不安定な天候をもたらしていたと考えられますね。


オンネトー温泉 景福


景福の外観

 pm4:00前、我々は今宵の宿 景福 に到着する。国道241号からオンネトーに向かって右折し暫く走ると雌阿寒温泉(野中温泉とオンネトー温泉の総称?)が在るのだが、三軒有る温泉宿の一番奥の少し高い所に在るのが オンネトー温泉 景福 である。

 我々が宿に到着する時間はいつも五時過ぎなのだが、今日は走行距離が少なく(400km程)特にトラブルも無かった為早く宿に着いてしまった。宿に早く着き過ぎると夕食までする事が無くて時間を持て余すのだが、今回の宿は温泉なのでゆっくりと温泉に入って時間を過ごす事にする。

 私は以前景福の手前に在る野中温泉別館で日帰り入浴をした事があって、その時に雌阿寒温泉の良さを体感した。今回は露天風呂が評判の景福に泊まる事を楽しみにやって来たのだが、生憎の雨でその露天風呂を楽しめるかチョッと心配ではある。


内湯の入口
※男湯
 私は部屋に荷物を運び込んだ後、濡れたレザーウエアーを脱いで浴衣に着替え早速温泉に向かう。ここには内湯(男女別)と露天風呂(一応男女別)が有って、私は先ず内湯に入ってみる事にした。

 内湯(男湯)の内部は私の好きな木で内装されており浴槽の縁も木製だったのだが、浴槽内は岩と砂利で出来ているハイブリットなお風呂になっていた。木製の縁で中は岩のお風呂は私は初めてだったが、それには理由が有った。

 このお風呂は底から温泉が湧き出ていて、それを邪魔しないよう底を岩のままにしているようだった。男湯の隣に女湯が有るのだが、底から温泉が湧出しているのは男湯だけのようで、女湯の底は普通に平になっているようです。

 私はこの手の浴槽の底から温泉が湧き出ているお風呂を幾つか体験していて、浴槽のパターンも何種類か体験している。

 蔦温泉(青森県八甲田)の浴槽は全て木製で底板の隙間から小さな気泡が プクッ プクッ と出ていて温泉が湧き出ている事が分かる温泉。

 藤七温泉(岩手県八幡平)露天風呂は、底から(板は敷いてあるが底が見えないので正確な構造は不明)大きな気泡が ブクブク と出ている温泉。

 湯の又温泉(秋田県秋の宮温泉郷)は、浴槽の底の岩盤から温泉が湧出している温泉なのだが、それは目には見えない。しかし、その湧出の存在は熱い温泉の流れで知る事が出来る温泉である。

 木製の浴槽が好きな私としては蔦温泉温泉のパターンがベストなのだが、温泉それぞれのパターンが有って良いと思うしオンネトー温泉のパターンも有りだとは思う。

 しかし、浴槽内の岩が色々な形をしていて、自分がリラックスした体勢になれる岩を見付けるのに時間が掛ってしまうのは問題かな?

 ここの温泉は湧出した時は無色透明なのだが、空気に触れて時間が経つと白濁するようです。内湯のお風呂は下から湧出する新しい温泉で満たされたいますから白濁する事は無いようなのですが、露天風呂は白濁していました。

 ここの露天風呂は、早朝に(5時頃?)お湯を抜いて掃除をするようで、午前中は温泉が新しく白濁していない事が多いようです。下の露天風呂の写真は朝の6時頃に撮影したもので、温泉がまだ半分位(白い所の上端まで温泉が溜まります)しか溜まっておらずまだ白濁していませんでしたが、私が入った夕方(前日ですが・・・)には白濁した温泉になっておりました。




男湯 内湯 (無色透明な温泉です。空気に触れて時間が経つと白濁するようですが、内湯は白濁しません。)
※男湯 露天風呂 (朝撮影したのでお湯は透明ですが、夕方は入った時は白濁した温泉でした。




大ハプニング?

 内湯には日帰り入浴の男性が一人(30歳代?のライダー)入っていて、その後年配の方(60歳代?)が入って来た。ライダーの彼は温泉好きのようで、この温泉の前に養老牛温泉からまつの湯に入って来たらしくからまつの湯の話をしてくれた。

 年配の男性はその昔北海道の山々を登っていた時期が有って、雌阿寒岳に登った後に入ったこの温泉が印象に残っていて、今回ご夫婦で十数年ぶりに訪れたらしい。空いていれば宿泊するつもりていたらしいらしいのだが、今日は満室で断られたと残念がっていました。

 旅先の温泉で他愛のない話をしながらゆったりとした時間を過ごす、これも私の旅の楽しみの一つなのである。話はここの露天風呂の話になって、「露天風呂にも入りたいよねぇ・・・」 みたな事になったのだが、内湯から露天風呂に行くには廊下を通って露天風呂入口まで行く必要が有り、服を着るのが面倒だった。

 ライダーの彼はこの温泉に何回か来た事があるらしく、男湯(内湯)の窓から外に出て露天風呂行くルートが有る事を教えてくれる。私はライダーの彼と共にタオルを前に当てながら露天風呂に行く事になったのだが、何とそれは我々の部屋の真ん前を通るルートだった。

 私は歩きながら我々の部屋の方向を見たのだが、偶々部屋にいたK9と窓越しにバッチシ目が合ってしまった。K9は窓の外を歩く裸の男達の姿を見て驚きの表情を見せたが、私と致しましても予想外の状況に恥ずかしいやら恐縮するやらで、頭を軽く下げて足早に視界から消える事しか出来ませんでした。

 浴場で裸を見るのも見られるのもそれは普通の事ですから恥ずかしいという意識は無いのだが、今回の状況は庭を裸で歩いていたら家の中の人に見られてしまったようなもので、とにかく恥ずかしかったですね。

 後を追うように年配の彼もやって来て三人で露天風呂を楽しんだのだが、この露天風呂結構な広さが有って三人で入っているのは勿体無い感じでした。雨は降っていたものの大した事は無く、結構長い間露天風呂にいた私だったが、再び我々の部屋の前を通って(K9の姿は見えなかった)内湯に戻り、浴衣に着替えて部屋に戻る。


京福の夕食
1迫食付6,500円


 時間はまだ5時前で夕食までには暫く時間が有った。夕食までの時間を潰す方法を一つしか思いつかなかった私は、チビチビと始めちゃいました。時間になって我々は食堂に行ったのだが、私は結構出来上った状態での夕食なってしまいました。

 京福の夕食は宿代に見合った内容の食事で、美味しく頂きました。

 夕食を終え部屋に戻った私は、楽しみにしていた星空を見上げながら入る露天風呂に行こうとしたのだが、部屋の中でも雨が屋根を叩く音が聞こえる程の雨に露天風呂は諦めました。

 私は部屋で再びチビチビと始めたのだが、もう一人の参加メンバー10Rの事が気になっていた。新千歳空港に到着した連絡は入っていたから、今こちらに向かって走っている筈なのだが、陽も暮れてこの雨だから無事に着くかどうか心配になっていた。



恨めしの豚丼

 その頃、新千歳空港で我々がデポしたZX−10Rを受け取った10Rは、雨が降る高速道を雌阿寒温泉を目指してZX−10Rを走らせていた。新千歳空港から国道337号で千歳東ICに出た10Rは、道東道に上がって夕張ICで高速を下り、国道274号・道道610号・道道136号と走って占冠ICに出て再び道東道に上がり雌阿寒温泉を目指したのだが、時間はちょうど夕食時で夕食をどうするか考えていた。

 10Rが帯広JCTに近づいた時、彼は帯広駅前に在る 元祖 ぱんちょう の豚丼が無性に食べたくなってしまった。豚丼の誘惑に負けてしまった10Rは、ウインカーを左に揚げ帯広駅に向かってしまったのだが、はんちょう に到着して見ると入口の前には7〜8人の行列が出来ていた。

 ぱんちょう ではそれはいつもの事で10Rはその人の列に一度は並んだのだが、雨は降っているしこれからどれだけ待てば良いのかも分からなかった為、彼は豚丼を諦める事を決断する。再び道東道に上がって足寄ICを目指した10Rだったが、帯広で大きく時間をロスした為夕食の弁当を買う為に立ち寄った足寄のスーパーマーケットは閉店間近だった。

 しかしそれが10Rに幸いし、値引きシールが貼られた夕食用の弁当(豚丼ではなくカツ丼)をゲットする事に成功する。同時に飲物も購入した10Rは、我々が待つオンネトー温泉に向かうのであった。

 足寄を出れば国道に明かりは殆ど無く、まして雨の国道はヘッドライトの光をやり過ごして反射する物は無く、10Rは車のテールランプだけを頼りに走っていたのだが、国道を離れオンネトーに向かう道に入るとそこは恐怖を感じるほどの闇黒の世界で、雌阿寒温泉の明かりが見えた時10Rは緊張の糸が切れ体の力が抜けていくのを感じた筈だ。そして彼の4時間半にも及ぶ難行苦行は終了したのでありました。

 K9がバイクの音が聞こえたと言うので玄関に向かうと、10Rがバイクから荷物を降ろしていた。外は結構な雨が降っていて、我々は宿の傘を借りて10Rの許に向かう。我々の姿を見て10Rはホッとした表情を見せるが、この雨の中を走って来た10Rには本当に頭が下がる。 ご苦労さんです。

 10Rは早速温泉に入り、赤い体で戻って来たところで三人で乾杯する。10Rは遅い夕食を食べながら、千歳から雨で、帯広で豚丼を食い損ね、足寄で安い弁当を買った話をしてくれる。我々も平取から襟裳岬を回って雨に降られながら来た事を話し、お互いの情報の共有化を図る。

 10Rは豚丼を食べられなかった事が大変心残りであったようなので、私は最終日の昼に帯広を通る予定にしているので、その時にリベンジ出来るかもしれない事を伝える。しかし、その日は ぱんちょう の休業日である可能性が高く(通常は月曜日が定休日、月曜日が祝日の場合は次の日)確認が必要で有る事も伝えた。

 そんな話をしながら夜は更けていったのだが、10Rは大分お疲れのご様子で早目にご就寝となり、残った我々も早々に就寝となった。

 明日今降っている雨が上がり、ドライ路面を走る事を夢見て私は床に着くのであった。


by Ryuta

3日目
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